第一回下田景観ワークショップ二日目

朝、いつものように「らんぷはうす」で朝食後、「昭和湯」で朝湯を浴びてから蔵に戻り荷物をまとめて市民文化会館大会議場に行った。集合時間を過ぎていたのですでに大勢集ってはいたが、まだ開会してはいなかった。私を待っていたように開会して、前日の成果の確認をした後、再び「加田本家」に向った。

今日は昨日、ざっと行った計測を再確認するとともに、石組みの実態(積み方、石材の総数など)を詳細に調査する。この部分は専門家と学生に任せて私は他の参加者と情報交換を行った。

昼前に屋内が騒がしくなった。ちょっとした(場合によると重大な)発見があったのだ。私は建築の専門家では無いので詳しいことは分らないが、東西に長い「加田本家」は南北の壁が石積みになっているのだが、この石積みが南側は大体幅二十五?、高さ三十?、長さ八十?を標準とする石材が積み上げられているのだが、北側の奥に当る西端の石材は幅が十一?しかないことが分ったのだ。その薄い分は土塀で補われているのだ。一般論ではそのようなことをすれば両側の壁のバランスが悪くなる。それをあえてそのようにしているのには意図があるに違いない。ことによると、その意図が百年以上繰り返し大きな地震に襲われながらも倒壊はおろか大きなずれも生じていない(地盤沈下によるゆがみは起きている)伊豆石民家の耐久性の秘密かもしれないのだ。

また、正面の下屋部分と母屋の接合部分が地盤沈下で歪み浅い「V字」型に剥離しかけているのだが、その部分に臍が切ってあるのが確認された。これまで伊豆石民家は石材同士を漆喰などで接合せず、木骨(当然鉄骨も)使用されず、臍も無い、つまり単に積み上げただけで地震に耐えてきたと考えられ、その工法は謎だったが、この発見で少なくとも明治後期以降は臍が穿たれていたのではないかと言う仮説を立てることができた。

正味一日と言う限られた時間ではあったが、大勢で活発に意見を交換しながら現場で実地踏査を行った成果は確実にあがったようだ。

その後、再び大会議室に戻って、総括の意見交換を行い、各人が残したメモ、測定値などがコピーされて参加者に配られた。 (よしだ)